今月のメッセージ

      
 
  この子だれの子(平成16年12月) 「メディアとの接し方」 

■全国の小児科開業医でつくる「日本小児科医会」は『子どもとメディア』の問題に対する提言を発表。続いて「日本小児科学会」が乳幼児のテレビ、ビデオ長時間視聴は危険です」との緊急提言を行った。  これらの提言では、言語能力の獲得や発達、心の成長の妨げになる恐れがあるとして、2才まではテレビやビデオを見せない、授乳中や食事中にはテレビをつけない。  テレビやビデオの視聴は1日2時間以内とし、テレビゲームや携帯ゲーム機などの利用は日に30分までとする・・・などと具体的に示している。  さらに、子供部屋にテレビ、ビデオ、パソコンなどを置かないようにとも提言。これらのメディアとの長時間の接触が、他者とのコミュニケーション能力の低下など、心身の発達の遅れや歪みを生じるケースがあることを指摘している。 ■インターネットの利用者が、国民の6割にも達しているという時代、2002年施行の学習指導要領で小学校からインターネットについて教えるようになっており、中学や高校では必修となっているという。  これからの時代を生きるこどもたちに必要なことである。 だが、利用する上でのマナーやネット犯罪の危険性につい て、或いは画面の向こうには人間と言う相手がいるということをしっかり教えておくことが重要だと思える。  コミュニケーション能力が未発達な小学生にあまり早くからパソコン操作やネットの接続といった知識・技術だけを教え込むのはどうだろうか ― と思えてくる。  文明の利器も使う者の心のありようを問われる。

この子だれの子(平成16年11月) 「50年ぶりの修学旅行」 


地元在住の者たち数名が幹事役、何度か集まって企画した同窓会は「修学旅行」と題して「伊勢参り」と決まった。 大型バスに乗り合わせたグループの他に、現地での合流組もあり北海道から空路駆けつけたT、自営業のKとMの三人は現役の社長である。「イヤ〜久しぶり、幹事役ご苦労さん」 「オイ!!あそこに居る禿げたやつ、誰だか判るか?」「ヤア〜さっちゃん」「あんたふさちゃんやろ」?「ちょっと、ヨッさんえらいおじんになったやんけ」「ほっとけ、人のこと言えた柄か、おまえもええおばんやど」しばらくは濁声と矯声とが飛び交い、受付は混雑を極めた。  やがて女の子(おばあちゃん)たちの旧姓を想い出すなど、すっかりこども時代に戻れるのも不思議とさえ思えた。 戦後、物の不自由な頃、貧に耐えいつも空腹が同居しながらの中学生時代を送った、お互い仲間たちである。出席者の6割強が女性とあって、話材はこどものこと、孫のこと、仲良しの奥さんグループとの旅行で海外へ・・・・と賑やかだ。一人が話し終らぬうちに次の誰かが割っては入る、かと思えば別の話題にと場面が転換、黄色い笑い声が辺りに響く。  一方こちらは男子組、学歴社会の中でサラリーマンの悲哀を噛みしめながらも、家族を案じやっとの思いで定年まで頑張ったと語るAの話に、何人もが聞き入ったのも、心情的に自分と似かよったものを感じたのかも知れない。  定年で仕事を離れた男性たちに比べると、元気さと明るさ、備え持ったパワーは誰の目にも女性群に軍配である。  宿す、育む、生み出す、を考えるとすべて女性に備わった天与の徳分だ。男性よりも平均寿命が長いのも頷ける。  

この子だれの子(平成16年10月) 「こころ憎い 残暑見舞」 


 「傘持ってないん?」「ウン」「部活昼まで?」「ウン」「昼までもつかなー?」朝 散歩の途中で出会った見知らぬ中学生との会話です。いくらか歩いてからふと気がつきました。「お前の会話はなんと冷たいんだ」と。 自分は、降りそうだから傘を持っていて、出会った中学生には勝ち誇ったように、「俺は傘を持っているからいいけど君は困るよなー」と言うなんて。どうして「部活が終わるまで、部活が終わって家に帰り着くまで、もてばいいのになー」と言えなかったんだろうと。大いに後悔しました。 言葉ではよく「相手の身になって」と言いますし、言ってきました。ところが見知らぬ中学生との会話に、見事にメッキがはげたのに気づかされた一件でした。オソマツ。 残暑厳しい折柄、ご自愛ください。  平成十六年処暑 殊の外厳しかった暑さも、漸く峠を越えるかと思えた頃、知友のM氏(元中学校長)からこんな葉書をもらった。 夏休み、クラブ活動に通学途中、生徒は女の子?それとも男子?親しげに声を掛けるこの人物「いったいだれ?」。一瞬、そんな不安な心理に「ウン」としか応えようがなかったのだろう。イヤ!その反対に、家族間であっても親からの問に「べつに・・・」としか言わない中学生時代特有の気分からかも知れない、などと思考する。 何度も読み返した、そして少しの間は並んだ状態で歩いたであろう相手との、ちょっとした会話から、自分を省り見て気づきを得ることが出来るM氏に脱帽である。 短気が持病の私など「ワシの身にもなってみぃ!!」と。 相手の身か、己の身が先か、この違いの差は大きい。   

この子だれの子(平成16年9月) 「死にたい少年 そのC  おわり」 


 「あんた!息子を殺したいのか」!ハッとして我に返ったときは、ことすでに遅し。覆水盆に返らずの例え、一度発した言葉を拾い集めることなど出来るものではない。 あんたと言ったが、本音はてめえ〜とか、きさま〜とでも言いたい気分であった。心身に深手を負い、息も絶え絶えのこの少年を決して死に追いやってなるものか。  『死ぬな』「死ぬな」いまはそのことが第一議である。 努めて平静にと我が身に言い聞かせながら、自分を装って来たつもりだったが・・・切れるとはこんな状態なのかも知れない。平素は出したこともない叫びは、この相手に対する罵声でもあったか。次の瞬間、妙に醒めている自分がむしろ不思議でもあった。この父親の考えに変化が生じたのは、そんな出来ごとから数日後のことだった。 「お前が好いと思う道を選べば良い。出来るだけの協力は惜しまないから・・・」と。心の奥底にまで染み着いたであろう(お前は○○ねばならない)そんな呪縛状態から、彼が解放される迄にはかなりの時間を必要とした。 やがて学校では卒業式の練習が始まった。そんなある日のこと、「式には出たくない」と言う彼に一瞬途惑ったが。 「卒業式って、修了証書を受け取るためにだけ出席すんのかな?生涯に一度、君の想い出であったり、一所懸命君のこと思ってくれた担任へのありがとうかも知れないし、・・・本当を言うとこの私が君の晴れ姿を見たいんだな〜、ゴメンヨ」と、そして当日、卒業証書授与式の会場で彼を見送った。 彼が味わった体験こそ、彼自身の人生に貴重な糧となって決っと花ひらくと信じたい。人生むだなしである。


この子だれの子(平成16年8月) 「死にたい少年 そのB」 


 「我が息子たちの将来はかくあるべき・・・」と父親の言は、ほとんど口を開かず、会話など全くないはずの彼が、すでに語ってくれていたので、こちらにとっては内容の確認として容易に受け止めることができた。   烈しい嘔吐を繰返し、食べたものは一切受けつけない。 最近、急激に体重が4キロ以上も激少していること、 本人は真剣に「死にたい」と思い詰めていること。  こちらの問に、この現実さえも気付いて居ない父親の姿勢に正直驚いた。そして死にたいと訴えているこの少年の心情が一層理解できるとともに、そんなことには無関心で、一方的に自分の考えを押しつけている親の態度に憤りさえ覚えずには居られなかった。だが一方、先生家業で父親の口弁はますます熱気を帯びるばかりである。  自室に引き込もって不登校気味の我が子、親として悩まぬはずがない。神経内科を訪ねると、診察の結果は「親の育て方が間違っている」と指摘されたとのこと。 「いくら専門医だと言っても、私たちの子育てが間違っているなどと初対面で判るはずがない、許さん!!二度とあの医者には会いたくない」!!激怒の程度も超一流であった。 人を指導することには慣れていても、人からの忠告や諫言には強烈な拒否反応を示すタイプと見えた。  ここまで来るとこの父親、俗に言う「つける薬がない」とはこのことか。先程らい私の頭の中は沸騰した鉄瓶の湯にも以て、あの重い蓋さえも押し上げんばかりだ。ついに頭の天辺が破けて、そこからは逆巻く熱湯が吹き出した。 『あんた!!息子を殺したいのか!!』

この子だれの子(平成16年7月) 「死にたい少年 そのA」 


 「ヤァ〜おはよう。今朝は早いんだね、すまないがそこの湯沸しポットに水を汲んで来てくれるかな」?と頼むとハイともOKとも返事は聞けなかったが、彼は直ぐに動いた。  「コーヒー、それともお茶、どっちにする」と訊くと「コーヒーでいい」と小さく低い声が返ってくる。  何度か会っているうちに、会話のキャッチボールが出来るようになってきたようだ。「本当は他に欲しいものがあるけれど、コーヒーでがまんしとく、とも受け取れるから『僕はコーヒーが好い』と言ってくれるともっと嬉しいんだけど」少し意地の悪い対応をしたり、「ウン旨い!!こんどからコーヒーは君に入れてもらうことに決めよう」この言葉は世辞ではなく、正直な気持ちだったがチラと彼の横顔を覗き観たことなども、想い出のひとコマとして浮かんでくる。  少年の保護者との初対面は実に印象強く、今も忘れ難い。「息子はやれば出来る能力を充分に持ちながら、学校を休み家ではほとんど口を開かず、会話など全くしない。  それなのに、ここでは何を話しているのか」と。日頃は先生と呼ばれる職業がそうさせるのか、父親はかなり居丈高で、まるでこちらが叱られているかのようにさえ思えた。  「いまどき、大学も出ないでは、これからの社会に通用しない」と進学校として市内では上位と言われる高校を卒業、現役の大学生である長兄を引き合いに出し、我が息子たちの将来はかくあるべきと父親先生からご高説を賜わった。  バッティングマシンのように飛び出す口説を、かなりのあいだ聴き入っていたが、少しの間合を見い出し「それではお尋ねしたいことが・・・」ついにこちらも打って出た。

この子だれの子(平成16年6月) 「死にたい少年 その@」 


 何通かの郵便物に混っていた一枚の葉書を手にしたとき、まさか!!と正直そう思った。差出人の彼を中学の卒業式で見送って以来、二度ばかり便りをしたが彼からの返事はなく、出逢うこともなく何年かが過ぎていた。  ―長い間返事しなくてすみませんでした。一年浪人して、今年○○大学に入学することができました……あの時のこと感謝しています…―ウッ!!私は全身が熱くなった。  文面からすると、あれから既に4年を経たかと、その早さを実感した。そして当時のことが蘇るのだった。  食事、睡眠、家族のことなど何点かの質問にも、首を横に振る以外に、ことばとしての反応は全く返って来なかった。もとより初対面である。彼とて見ず知らずの相手にあれこれ答えられるものではないのも当然であったろうが、ぽつりと「死にたい」と呟くようなひと声を残こして、相談室を出て行く彼のうしろ姿に悲痛な心の叫びを覚えたものだった。  この子はもう私を訪ねて来ることはないであろうと、その予想に反して二度・三度とやってくるようになった。語らない相手から何とか聞き出そうともせず、「君が話したくなったら話してくれたらいい」と。時には二人ともがただ黙ったままで、かなりの時間を過ごしたこともあったが、出会いの妙とでも言うのか、不思議なものだ。そのうちに「死にたい」の理が少しずつ見えてくることになった。  さて、ここで話題をもう一度葉書に戻すことにしよう。あの時のこと感謝してます。のあとに「ひまがあったら連絡下さい」と、文末は携帯電話の番号が記されていた。○○大学の入試問題には敬語の使い方は出なかったようだ。


この子だれの子(平成16年5月) 「フン!! モ〜!! ケッコウ!! 」 


私達人間は、生きる糧として、肉や魚、野菜など、毎日他の生き物の生命を頂いて、言い方を変えるとそれらの生命を奪って、生きていることは確かな事実である。  地球上の人口は62億とも63億ともいわれるが、豊かな国とか先進国といわれるのは、世界の人口の20%程度ともいわれ、そのひとつが日本であることも事実だ。  その20%の人間が世界の食料の70%を消費していると聞くと、わが耳を疑いたくもなる。しかも飢餓に苦しむ多くの人々が存在することを知りながら、好きな食べ物を腹いっぱい食べ、余れば惜しげもなくポイと捨てているのである。  BSE問題でどれだけ多くの牛が処分されたことか、日ならずして、鳥インフルエンザの発生によって廃棄処分されたニワトリとなるとその数たるや計り知れぬ。  先般、北九州で出逢った池間哲郎氏は、15年間アジアでのボランティア活動から、特定非営利活動法人NGOの代表理事に、職業はJAN(ビデオ撮影業)とのことだが、氏の撮った映像を観た私は声を失いただ泣いた。  11、12才くらいの彼女は難病や寝たっきりの重症患者ではない。信じ難いありさまだが、ゴミの山の中から鉄くずや空き瓶を拾い集め、これを換金して何とか命をつなごうとしている日本とは同じアジアのこどもたちの姿があった。 「あなたの夢は何ですか」?と尋ねると、笑顔で返ってきた答えは「大人になるまで生きることです」だった。  食の安全を問われるいま、牛丼が、焼き鳥がと右往左往することよりも、「他の生き物の生命のおかげ」という感謝の気持ちを忘れた、人間への警告と受け止めるべきかと思える。


この子だれの子(平成16年4月) 「先生からの手紙」 −抜粋−


 ○○中学校を卒業するまでの登校日も残り15日になりました。進路選択は人生における大きな岐路です。選択する際に「良いか悪いか」ではなく自分が好いと思う道を選ぶこと。
 ことわざ「塞翁が馬」の通り、長い人生においては何事も「良いか悪いか」決められません。勿論入試で不合格ならば、それはとってもつらく苦しいことです。それでも「これは私がもっと成長するための試練なんだ」と心のチャンネルを一日でも切り替えることです。
 この私も8年前に大きな苦しみを味わいました。でも今となってはそのお蔭で今の私があると思うようになっています。
 さて、公立推薦入試を終え、進路が決ったからと調子にのって、人生で最も大切な宝物「友だち」を失うようなことにならないよう、注意して下さい。
 先日観たTVドラマの中で「どの道を選ぶかより、選んだ道でどのように活きるかが大切である」という言葉に出会いました。目に見えるもの(肩書・給料)を優先してきた主人公が、妻との離婚、娘の不登校傾向という試練を通して、目に見えないもの(愛・人間らしさ)の方を大切にしようと活き方を変えていく場面です。
 このように苦労を通して、人間として一歩ずつ進化していくのかもしれません。理由あって、この世に生命を授かったからには、自分の選んだ道で一所懸命努力を積み重ねる使命があります。まだこどもだからと甘えてばかりはおれません。
 義務教育、卒業式前の一日一日は、人生で最も大切な節目です。集団生活の場では全体を優先させ、爽やかな表情で、胸を張って母校を巣立ってくれることを祈っています。  

  この子だれの子(平成16年3月) 「適者生存の落とし穴」


  卒業、入学、就職のシーズンであると同時に、進路の選択、受験による合格、不合格と言う比較と競争の時期でもある。試験は、主催者が求める人物を選抜するもので、これを「当然のこと」とほとんどが認めるであろうが、このシステムには「適者生存」の考えがある。だが、これをつきつめると大変なことになると気づく。 仕事がはかどらない、失職した、病気になった、まもなく死を迎えるetc、思うようにいかない時「適者生存」の概念では事実を受け入れようとせず、ついには自己否定せざるを得なくなってしまう。  さて、日本語には四苦八苦という言葉がある。この四苦八苦を味わってこそ「二度とない人生だから」「みんな違ってみんないい」「人生無駄なし」etc、思考が柔軟となり「適者生存」を超えた価値観を獲得してゆく。  進路選択は人生における大きな岐路である。これまでは親が認めるか否かを判断基準としてきた。が、しだいに「?」が芽を出し、こども自身の新しい価値観を創り始める。したがって進路の選択に当っては親と子が魂をぶつけ合う場が生じることにもなる、むしろ本音でのぶつかり合いこそ、必要不可欠とさえ思える。  迷い、悩み、苦痛など、どれをとっても好まざる状況だが、芽を出した自分独自の「?」が育つためには、必須の条件である。 人生日々選択とも言える。こんな時にこそ、四苦八苦の体験から会得した先人や親たちの人生観が大きく影響する。  人間いつの日か必ず死を迎える。また、思うようにいかないことも少からずある。厳しいシーズンを乗り切り、若者たちが清々しい表情で春を迎えられることを祈りながら待ちたい。

この子だれの子(平成16年2月) 「叱る、叱られる」


 或る会の新年会。参加した女性のほとんどが和装であり、中でも何組かの母娘カップルは一際花やいで見えた。初老を過ぎた婦人たちのきもの姿は、十代二十代の振袖姿の華やかさとは別に、どこか違った風情を醸し出している。  主催者からは年始の挨拶に加え、老いの文化についてが話しの骨子であった。−人間として必ず向きあう老いー体力や肉体の老化は誰しも避け難いが、老いを恥じることなく、精神的に若々しくいかに美しく老いるかがテーマだと。古来から伝統など、古きもの決して古きにあらず、年輩者は若い人たちに言うべきは言い、伝えること、叱ることを怠らないよう。若い人は叱られて叱られてその中から自分を磨き上げて欲しい、人生いかに楽しく活きるか。−中略−  さて、最近のこどもたちは叱られると言う体験が少ないようだ。「宅ではこどもの自主性に任せているのだから」と注意されたことを学校に対して、親が苦情を申し出るとか、自由だの人権だのと、その取り違いも甚だしい。  親、教師、上司、先輩などと叱る側の立場を考えてみると「叱らない」の以前に「叱れない」大人社会にも大いに責任を感じる。言うべきは言い、叱れるだけの道を踏んでいるかを問い直すことが必要になってくる。  住込みの店員だった私は、店の主人からよくよく叱られたものだが、叱られたその理が店の損得や主人の利害ではなく、常に私を育てたい、育って欲しい一条の親心からであったと、このことに何十年を経たいまに気付くのである。


この子だれの子(平成16年1月) 「詰らない おはなし」


 来年度の入園希望者が少ない、このままでは廃園になるかも?幼稚園長が悩んでいる。と一人が発した話題が物議を呼んだ。いまはほとんどが保育園やからな、なんでや?  一番の理由は長い時間預かってくれるやろ、それぞれの園がバスで送り迎えしてくれるしな。うんどう会も幼稚園独自ではどうもならんから、小学校に合流してるのが実状やな。15人や20人でどないしてやっとんや?採算合わんやないか、民間では考えられんな、採算のことなら幼稚園以外に小学校や中学校でも、学年がひとクラスやったり、まして中学校で学年がひとクラスやったら全校で3クラスか、小じんまりと少人数でええやないか、あかんあかん、人数が少ないとクラスにも学校全体にも勢いが無いやろ、人間関係が固定化してしもうて良うないわ、競い合いにならんがな、それも言えるな、学級の人数を少数にしたらと言う考えも、いまいちやど、成績は良うなるかも知らんが「人間力」が身に着かんわ、「人間力」?あんたえらいこと言うやないか。  こどもは家族や友だちやたくさんの触れあいを通してのみ「生きる力」がつくもんや。  ゆとりの教育がゆるみにならなんだらええけど、ワイはちょっと心配や、お前もそう思うか、よっぽど自分で目標意識の強い者やないと、楽な方へは行きやすいもんやど。  だいたいやな、わしら大人が元気ないぞ、こどもや女房の前でア〜アと溜め息吐いたり、ア〜アしんど言うとるわ、なんや、さっきから夢のない話しやな、もう止めにしとこ。




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