活きる(平成24年12月)
「成功の実現」
− 『 第3章 恬淡明朗 』 −
その3
では、簡単明瞭に心の掃除ができる方法を教えよう。
長い年月の間、何の用意もなく明け暮れ考えていることは体のことばかりで、今日まで生きてこられたあなた方、今夜から改めて心の掃除をする習慣をつくることを、あなた方の人生の貴重な方法として実行なさい。
床の中へ入ったら、それからが大事なんですよ。
夜の寝際、昼間関係した消極的なことを思い出さないようにすること。
目の覚めている間に関係したことは、目の覚めている間の事柄なんですから。
夜の寝床に入ったのは、寝るために入ったんだろ。
それとも、何か考えるために入ったのかい?
考えるために入ったんなら、この教えは役にたちませんぜ。
一日の疲れを休めて、また明日の生命の甦りをいただくために、夜の時間を安息の時として床の中へ入る。
さすれば、寝がけの気持ちは非常に大事なのであります。
たいていの人はいろんな理屈を言うけれども、この消息をご存じない。
人間の夜の寝際の心は無条件で同化しちまう、暗示感受性があるんです。
夜の寝際に考えたことはそのまま感光度の速いフィルムの入ったカメラのシャッターを切ったと同じ、パーツと潜在意識領に刻印されちまうんだ。
昼間どんな腹の立つことや悲しいことに関係した場合であろうとも、夜の寝際の心のなかは断然それを持ち込んじゃいけないの。
昔はね、今と違って物質生活よりも精神生活をおこなっていた時代が相当長く続いていました。
その時代の人間は、理屈ぬきで、事実で知っていたんだなぁ。
夜の寝際の心持ちが大切だってことを。
「三つ子の魂百までも」と言うが我々の幼少時代には必ず、じいさんなり、ばあさんなりが、夜の寝際の添い寝をしながらお伽噺というのを聞かせてくれたものなんだよ。
幼少のおりに聞かされた話しというものは、潜在意識のなかに強烈にインプレス(刻印)されてますものねぇ。
抜粋:要約
人間塾生 玉田 光久
活きる(平成24年11月)
「成功の実現」
− 『 第3章 恬淡明朗 』 −
その2
帝国ホテルでロックフェラー夫妻と一緒に飯を食ってるときね、興味ある問題として私がこういう質問をしてみた。
「あなた方、何か人生に不幸を感じることがありますか」と言ったら、「大ありですよ」と言うんです、細君が。
アメリカで一番の金持ちの細君が、不幸を感じることが大ありだと言うんです。
「その中の最も代表的なものを聞かせてくれません?」「主なものだけでも100ぐらいある」と言うんです。
驚いたね、これ。
「その中でも最も不幸なものを聞かせて下さい」「そうねぇ、今いちばん私たち夫婦の困ることは、私たちが一体どのくらいお金を持ってるかわからないことです」
気の毒だなぁと思ったよ、私は。
「ほかの苦情は?」と言ったらね、「いつ何時死ぬかわからないことが恐ろしい」と言うんです。
こいつは凡人のもってる苦労と同じですね。
そして、「いくらお金があっても、病いだけは防げないで困ってる。」
それが、あなたの話を聞いて本当にもう安心のできる気持ちをいま感じているのです」
心のなかの掃除をしないで、汚れるままに消極的な観念をいっぱい溜めて生きていくと、肝心かなめの神経が過敏になっちまうもの。
神経が過敏だと、正当な幸福を恵まれても、月見ても、花見ても、人生生活を楽しもうという気持ちが心のなかから出てこない。
見るもの聞くもの、みんな癪の種、心配の種になっちまう。
ですから、日々が少しも安らかな、いわゆる安心立命の境涯で生きられないことになっちまうんです。
「お前は自分勝手で、ひとりよがりのことばっかり言ってる」「いくらお前がそう思ったところで、お前が間違ったことを思っている以上、宇宙真理というのは同情しないよ」
自分でいろんな屁理屈をつけて自己弁解したって、それはだめですよ。
それを私はインドで言われたんだ。
―つづく―
抜粋:要約
人間塾生 玉田 光久
活きる(平成24年10月)
「成功の実現」
− 『 第3章 恬淡明朗 』 −
その1
人は、心、心と言いながら、その心というものの働きをはっきり知っていません。
ただ、いろんなことを思ったり、考えたりするのが心だということは知っているけれども、その心が実は潜在意識のなかに、思わせること、考えさせることの素が入っていて、その素が材料となって、心の表面にある実在意識領というものが、いろいろと働くのだということをご存じないのであります。
みんなそれぞれ境遇や学問や、あるいはまた経験によって違っているんです。
だから「三人寄れば文殊の知恵」とか、「十人寄れば十人十色」という譬えのあるとおり、一つの問題に対しても同じ意見がなかなかまとまらないのは、潜在意識のなかの観念要素がみんな違っているからなんです。
現代の物質文明に生きているお互いは、潜在意識のなかがもう始末にいけないほど消極的観念で充満してしまうんですよ。
これはマスコミという世の中の世相から受ける影響ですもの。
私自身が真理を知らなかった時代には、あさましいぐらい人間というものを価値のない存在だと思ってたんだ。
万物の霊長とは名ばかり、学生時代は勉強で骨が折れて、社会へ出ると生涯競争に追いまくられる。
稼げど稼げど、貧乏神が同居、油断も隙もできない。
一生、生きている間、楽しいことより苦しいことの方が多いのが人生かいなと、人生は苦の娑婆だと思っていた。
生きる正しい方法を知って生きたら、人生ぐらい愉快な、人生くらい恵まれた、人生ぐらいありがたいものはないんですもの。
結局、心が人生を感じる感じ方でそのまま極楽にもなり、地獄にもなるわけだ。
心に極楽を感じせしめて生きようとするには、心の中を掃除しなければだめなんです。
それが「観念要素の更改」というんです。
どんなに学問をしようが、出世して名誉・地位を高め、お金ができても本人自身はちっとも幸福じゃありませんよ。
―つづく―
抜粋:要約
人間塾生 玉田 光久
活きる(平成24年9月)
「成功の実現」
− 『 第2章 真の積極 』 −
その4
恵を受けて喜ばない人間は、人間じゃありません。
恵みというのは、自分から求めざるに与えられた大きな喜びを言います。
結局人生は心ひとつのおきどころですもの。
暗い考えでものを見れば、どんな場合でも喜びと感謝は感じられません。
けれど、どんな些細なことでも感謝を先にして、喜びてこれを迎えたならば、お互いの住む世界はそれこそ黄金花咲く欄漫たる喜びの花園になります。
極論すれば、病があろうが、運命が悪くなろうが、それを感謝と喜びにふりかえるのです。
こう申し上げると「何かうれしいことやすてきなことでも与えられたら、感謝、喜びは感じるなっていったって感じるけれども、いちばん人生で嫌な病や不運を与えられて、何が感謝だ」と考える人にひとこと申しあげたい。
そもそも病いとかいうものの原因を考えてください。
何にも自分に落ち度がなくして、病や不運がくるはずないのであります。
つまり、原因あっての結果。
「蒔かざれば花咲かず、実みのらず」であります。
病も、不運もまた同然です。
自分が生きるうえに何か誤りがあったがための結果の現象なんですからね。
天には言葉がありませんから、事実をもってあなた方の自覚を求めるのであります。
万物の霊長たる人間としての生き方をしていない。
それで、お前の生き方には間違いがあるから、その間違いを自覚しなさい、といって病いなり、不運なりが与えられたとしたら、これは大きな恵みですわ。
それを考えたら、感謝と喜びにふりかえ、自分の心を積極的な方面に向けかえる。
結局、自分の心のおきどころひとつなんです、人生は。
―つづく―
抜粋:要約
人間塾生 玉田 光久
活きる(平成24年8月)
「成功の実現」
− 『 第2章 真の積極 』 −
その3
「自ら省みて直くんば、千万人といえど我れ往かん」
本心良心の発動した場合における言葉や行いというものには、一点のやましいことがないから、どんな場合でも恐れることはないという意味です。
よく誠心誠意と言いますが、この誠心誠意というのは、本心良心がその大根大本となってあらわれたときの状態を言うんです。
平素の人生に生きる際の心がけとして、努めて気分を明るく朗らかに、生き生きとして何事にも応接するという気持ちをつくるには、言葉を気をつけなさい。
多くの人は、言葉と気分というものが直接関係があるという大事なことに、正しい自覚を持っていないようです。
絶対に消極的な言葉はつかわないこと。
否定的な言葉は口から出さないこと。
悲観的な言葉なんか、断然もう自分の言葉の中にはないんだと考えるぐらいな厳格さをもっていなければ駄目なんですよ。
こういう尊い消息を知らない人たちは、聞けば聞くほど勇気もでなければ、気分も引き立たないような言葉を朝晩、平気で言いまじわしているんじゃありませんか。
「困った」「弱った」「情けない」「悲しい」「腹が立つ」「助けてくれ」「どうにもならん」というような言葉の充満しているなかに生きているお互いは、よほど気をつけないと、そういう言葉に価値のない感化を受けちまうことがあるのです。
ですから、はたがどうあろうとも、自分自身は絶対に消極的な言葉をつかわないことであります。
その第一の手段として必要なのは、どんな場合があっても、不平不満を口にしないこと。
これまた大切なことですよ。
この不平不満が心の中にあると、どうしてもその言葉が積極的になりません。
不平不満のある人は、しじゅう上ばかり見て、下を見ないでいる。
はたはみんな幸福で、自分だけがこの世の中でいちばん不幸な人間のように考えちゃっている。
この考え方から出てくる言葉は、必ず未練であり、愚痴であり、もう価値のない世迷いごとだけであります。
―つづく―
抜粋:要約
人間塾生 玉田 光久
活きる(平成24年7月)
「成功の実現」
− 『 第2章 真の積極 』 −
その2
次に必要なことは、他の人の言葉や行動のなかの消極的なものに、自分の心を同化せしめないこと、これは真剣に考えねばならない大事なことなんです。
第三者の不健康や不運命に対して同情することは、人間として最も尊いことですけれども、同情を乗り越えて、相手と同様に悩んだり、あるいは悲しんだりしている人が往々にあることは、とんでもない誤りというよりも、むしろ滑稽です。
なぜかというと、一人の人間の不健康、不運命で二人の人間あるいは三人の人間が、そこに同じような哀れな状態をつくる結果がくるからであります。
そういうときこそ、断然積極的な心持で相手の落胆しているのを鼓舞してやるという気持ちにならなければいけないのであります。
それが本当の同情という心の態度なんですからね。
また、これも多くの人が気がつかず盛んにやっていることなんですけれど、取越し苦労ということ。
これはもう断じてすべからざることなのであります。
取越し苦労を当然だと思う人は、自分の運命の墓穴を自分で掘っている愚かな人なのであります。
「さしあたる事柄のみをただ思え。過去は及ばず、未来は知られず」というのがあります。
事のいかんを問わず、よしんば、ほんとうに心配することを心配した場合でも、心配しなくてもいいことを心配した場合でも、結果は同じなんです。
取り越し苦労をすればするほど、その心の消極的反映が即座に運命や健康のうえにまざまざと悪い結果となってあらわれるからであります。
「百害あって一利なし」取り越し苦労をすると自分の命を削る大きな損害がくるんだと、だんぜん知っておかれたいのであります。
―つづく―
抜粋:要約
人間塾生 玉田 光久
活きる(平成24年6月)
「成功の実現」
− 『 第2章 真の積極 』 −
その1
およそ人生で何が大切かといって、積極的精神以上に大切なものはない。
健康も長寿も延命も成功も、人生の一切合財のすべてが、この積極的精神によって決定されるのである。
たいていの人はこの真理に目ざめておりませんが、心が積極的であれば、人生はどんな場合にも明朗・颯爽溌剌、勢いの満ちたものになります。
古い諺にも「陽気の発する処金石また透る」とあります。
論より証拠、心が病に負ければ治る病も治らない。
反対に医者がさじを投げたような病いでも、心が積極的精神の状態であると、医者がびっくりするほど、長持ちするような場合が実際にあるものです。
秀吉もナポレオンも、わずかな年月のあいだに、天下に君臨しており、フランクリンやワットやエジソン等、偉大な発明や発見をあえてした人々は、いずれも心の態度が積極的でありました。
とくに私が念を入れて強調したいことは、この積極的精神というものは、決して先天的なものではないということであります。
すなわち、自分は万物の霊長たる人間である。
生まれながら与えられたものを発現できないはずはない、という敢然たる信念を我が心にもつことであります。
健康に対しても、運命に対しても、どんな些細な事にも、いま自分の心は積極的か?消極的かということを、厳格に第3者の心になって、つねに検討することが必要である。
何はともあれ、自分の現在考えている事柄を、同情だとか批判というものを乗り越えて、積極か、消極かを判断すること。
少しでも消極的だと思ったら颯爽たる勇気をもってそれを心の中から追い出してしまうことです。
―つづく―
抜粋:要約
人間塾生 玉田 光久
活きる(平成24年5月)
− 『 第1章 人生礼讃 』 −
その2
たいていの人間はね、人生をただ第二義的に考えて、やれ金が幸福のもとだ、物質が幸福のもとだ、地位だ名誉だなんて、だが金持ちみんな幸福かいな。
金や物質なんていうものは、仮相で実相の存在じゃない。
人間が人間らしく生きるのには何をおいてもまず第一に我々は「生命の生存」を確保する「生き方」を考えねばならない。
その次に、「生命の生活」という「活かし方」を考える。
どうすれば健全に生きられるだろう、食い物か、薬か、あるいは空気のいいところか、つまり肉体本位の生活を、健康獲得への唯一の手段と考えて、何年むだな努力を繰返したことでしょう。
多くの人たちは生命が生存しているから、日にちに生活ができるんだという絶対の事実に気がついていない。
つまり生命の生存を確保することを何をおいてもまず第一に考えねばならない。
心と体が一丸とされたものが生命である以上、心と体の両方を、自然の法則にそむかないようにすること。
ではどうするか、第一に「心」の態度を終始一貫いかなる場合にも積極的であらしめること。
積極的であらしめるということは、尊く、強く、正しく、清く生きることであります。
このことぐらい人生および生命に対して大事なことはないのであります。
体は常に訓練的に積極化することを心がける。
つまり秩序をおってだんだん慣れさせる。
以上が生命生存確保の大事な要諦である。
―つづく―
抜粋:要約
人間塾生 玉田 光久
活きる(平成24年4月)
− 『 第1章 人生礼讃 』 −
その1
はたちになったこの機にと、いま一度原点に還り、生命・人間・生き方・人生等々、中村天風の「成功の実現」を播き、新規参加のメンバーも迎え、人間塾としての学びの場がスタート。
重厚な装飾の書は第一章から第十章まで、ほぼ400頁に及ぶ。 (以下、原文通り)
“皆さん、ごきげんよう。天風であります。きょうはそもそも人間とは幸福でありうるものか否かということ”
幸福なんてものは、ひとつの想像のようなもので、思うように我がものにならない。
幸福になりたいと考えながら、なかば諦めてしまっている人が多い。
また、幸福になりたい一心で馬車馬みたいに、何のために生きているのかしらんと思うような気の毒な人が居る。
結局、幸福なんて絵に書いた餅で、自分のものにするなんてことは不可能じゃないか。
健康に対しても血圧が、糖分が、肩がこる、よく寝られない、何をやっても面白くないとか・・・。
一日の仕事を終えて「ああ〜きょうも無事に生きていてありがたい、またあしたも・・・」なんていう気持ちはなくて「なんでこんなに忙しいんだろ、チェ」!と寝床に入ってもおちおち寝られないで・・・安眠どころか・・・目がさめたらまた馬車馬みたいにあくせく、因果なもんだと考えている人が多くないかい?
北向いて行けば北に行くし、南向いて行けば南に行くんだから。
人間とか人生を考える観点の置きどころを訂正しなきゃ、ピントが外れてんだもの。
―つづく―
抜粋:要約
人間塾生 玉田 光久
活きる(平成24年3月)
− 『 原点に還る 』 −
毎月に一度とは言え日曜日の早朝、少ない人数での清掃作業は姫路城三の丸広場を中心に実施していた。いまひとつは「中村天風勉強会」と呼んでいたのだったか?コムサロン発足当初の頃が遠い記憶として蘇ってくる。
―あれから20年―
事務所も再三の移転により姫路商工会議所新館にと定まり現在に至る。
やがて特定非営利活動法人として認証されたが、その同年同月奇しくもお城のそうじ100回記念を迎えたのだった。その後コムサロンの組織も順次確立され、会員有志によるサロン活動も多岐に亙り、昨秋には記念誌の発行をはじめ、数多い事業も盛況の内に多くの人々とともに20周年を祝し、その節に味わった大きな喜びと感動は生涯の宝としたい。
ところでコムサロンと共にはたち(二十歳)になった「人間塾」だが「思考が人生を創る」「自分の人生を創るのは学歴でもなければ門閥でもない」「自分自身のものの味方、考え方こそが、自分の人生を形作っていく大本だ」!等々と、理事長が中村天風の言葉や思考にふれたことが、コムサロン誕生の基礎となったであろうと確信している。そしてさらに!そんなコムサロンの核として、お城のそうじであり人間塾であることに改めて両サロンの存在意義を再認識している。
歳も改まったいま、原点に還る佳き機会だと思える。
人間塾生 玉田 光久
活きる(平成24年2月)
− 『 人生の悩みが消えた日 』 −
それは、25年ほど前、30歳の頃でした。当時、モアアンドモアの経済社会の中で、自社も同じで、売上アップ、利益アップ一番の企業人人生を送っていましたが、同時に、この生き方がいつまで続くのか?と悩んでいました。
人生がテーマのいろいろな書物を読み漁りましたが、明確な答えがなく、いろんな人にも出かけて相談していました。そして、私の友人に紹介してもらって、この本に出会ったのです。
その本は、1冊1万円くらいします。悩んでいた私は躊躇せず購入しました。
その本は、冒頭から、「人間とは幸福でありうるものか否か?」の問いかけで書かれていました。講演録の文章は、読みやすく、どんどん読んでいき、そして、私の悩みの答えが、すべて書かれてありました。(書かれてあると感じました)
400ページほどある本を、二日間で読んでしまい、そのあと、心のモヤモヤが、不思議にも、すべて解決したのです。
そして、「その感動を人にも伝えたい。」「この喜びを人と分かち合いたい。」と決心して、
その時から、「忘己利他」の活動をスタートしたのです。(もう、懲りた。ではありませんよ)
いい人と出会えるか、いい本と出会えるか、人生は、出会いによって変わります。
そして、自分という意識は、実は、今までの出会いの「総集回路」でしかないのです。
「総集回路」は、出会いによって、良くも悪くもなります。いい出会いこそ、自分づくりになる。
出会いを大切に!
人間塾生 前川 裕司
活きる(平成24年1月)
− 『 ある日、突然!! 』 −
松を彩る楓や蔦は山の麓の裾模様〜♪♪遠い記憶の中にこんな歌を唄ったこども時代を想い出す。
万山紅葉して師走も半ばを過ぎた頃に「・・・喪中につき新年のご挨拶をご遠慮申し上げます・・・」あちこちからこんな便りが届き、その数も、40葉近くとなった。
短く感じるこの一年にも、親族や知人、友人等、例年のように賀状を交わし会う間柄の中にもさまざまな別れのあったことを知る。
特に本年は東日本の大震災により今も行方不明者三千数百人を併せると約二万人近くに及ぶ生命が失なわれ、いのちこそ助かったが家屋の消失等、被災に遭った人々は三十三万人以上とも報じられている。この現実をどのように受け容れるのか、真に胸が痛む。
喪中につきとの便りの中に、小学生時代特に親しかったKからは妻が永眠とあり、一瞬息を呑んだ。
結婚式にも招かれ、その後住居新築の吉報に奈良県の香芝市へ訪ねたことがある。
「二人の娘はそれぞれに嫁ぎ、日頃は夫婦での二人暮し、仕事以外のことはすべて女房まかせ、印鑑・通帳・関係書類・・・何がどこにあるのかさっぱり判らん!炊飯器の使い方、洗濯機の使い方はもちろん、お茶の一杯も自分で入れたことがない。その日もご近所の奥さんら仲よしグループと、機嫌よくお花見に出かけたのが最期だった」と語る。
少年時代、正義感に強くガキ大将であった彼と、「歳が明けたら・・・」と久々の再会を約したが、さて・・・慰め?励まし?・・・どんな言葉を・・・?なかなか思いつかない。。
人間塾 玉田 光久 |