今月のメッセージ

      
 
 


こころの風
(平成20年12月) 
− 足あとのかたち −


足あとにはかたちがあります。 人の足あと、犬の足あと、猫の足あと。
この世界に生まれてくるものすべてに足あとのかたちがあるのです。
そして、足あとは土の上や雪の上などに刻まれます。
時には濡れた足で床に刻まれる場合もあるでしょう。
そんな足あとは時間とともに見えなくなってしまいます。
足あとは消えてしまうのでしょうか?そんなことはありません。
足あとは心の中に刻まれます。
それは思い出という記憶の中にあります。
おじいちゃんやおばあちゃんとの思い出、かわいがっていた犬や猫との思い出、
たくさんの足あとのかたちが残っているのです。
もうひとつ!!その時、その場所に残された足あと。
ある場所にて、父の足あとを見つけました。
父のことを語る人の心の中に見つけました。
それは、その人の顔の表情とともに私の心の中へ新たな父の足あとを刻みました。
たくさんの足あとが私の心の中に刻まれています。
はたして私の足あとはみなさんに刻まれているのでしょうか?
答えはひとつ!!刻まれています。
なぜなら、この世界に生まれてくるものすべてに足あとのかたちがあるのですから。
       人間塾生 川崎太郎



こころの風
(平成20年11月) 
− 身体よ!ありがとう −


私は、
右足・左足に感謝したことがなかった。 足があるから歩くことができるのだ。
右手・左手に感謝したことがなかった。 手があるから掴むことができるのだ。
肛門・性器に感謝したことがなかった。 排便排尿ができるから、生きてこれたのだ。
胃・腸に感謝したことがなかった。    消化吸収ができるから体力を得れたのだ。
肺に感謝したことがなかった。      身体に必要な酸素を取り入れることができているのだ。 
目に感謝したことがなかった。      ものが見えるのが当たり前だと思っていた。
耳に感謝したことがなかった。      音のない世界を知らずに生きてこれたのだ。
鼻に感謝したことがなかった。      体内にいれる空気をきれいにして、香りも楽しめるのだ。
口に感謝したことがなかった。      なければ物は食べれない。話もできない。
脳に感謝したことがなかった。      今、こんなことも考えたり、あれこれ考え、
                        喜怒哀楽を感じることができるのは、
                        無事に機能してくれているからだ。
心臓・腎臓・肝臓・骨・・・・
よく考えると自分の体のすべてに、感謝したことがなかった。
当たり前だとおもっていた。 自分でつくったものは、何一つないのに。
(生まれて初めての大病を経験したときを思い出して・・・)
人間塾生  前川裕司


こころの風
(平成20年10月) 
− 怖い日本 −



 8月の人間塾に参加する。
人間塾ゲストはVO MINH NHUTさん25歳日本の大手企業へ、派遣社員として働いているベトナム人のエンジニアです。今から1年前、この豊かで素晴らしい先進国日本で最高の技術を学び、将来はその技術を活かして、ベトナム国の役に立ちたい! そんな想いを抱いて来日。 しかし、あの秋葉原の連続殺傷事件が彼の心を大きく揺さぶった。それから連日のように報道されるいやな事件。親が子を、子が親を
・・・なぜ? こんな思いからか『怖い日本』と題して話がありました。
・ お金は大切、でもお金を重視すると子供の教育によくない。
・学校での教育は大切、もっと大切なのは家族の教育。
・ゲームばかりして、外に出ないので社会の知識がない。
・親は子供に愛を表さなければならない。
・親は子供に夢と生きがいを教え育てなければならない。
・ベトナムでは、子供は親や先生を尊敬する。
他にも色々と語っていただきましたが、痛感したのは道徳教育についてのことでした。生命を大切にする心や他人を思いやる心,善悪の判断力を身に付けることはとても重要なことです。ベトナムでは道徳の授業は、小学校は週2回、中学校と高校は週1回だそうです。 ・・・さて、日本の道徳の教育制度はど
うなのでしょう。
最後に、『日本人は、お金持ちで裕福なのに幸せでない。』 と語った彼の言葉が今も私の脳裏に張り付いています。
コムサロン21 人間塾 須鎗則男



こころの風
(平成20年9月) 
− 最近の想い −



 生きた足跡を残したいと言う想いが齢56、57、58、59で結実するのが、人間なのではないでしょうか?
  人は自分の頭でしか考えれませんから、自分の想いは一つのパターンなのだと考えるべきなのですが、遺伝子の集合体が我々人間で、そのパターンが64億種類存在するのが、地球なのですから、それぞれの集合体には、それぞれの生と死の姿があっていいのです。そして、そこにはそれぞれ共通していたり、共有出来る部分もある訳で、その部分を吸収したり、合い入れないものとは離れたりしたりしながら、59才を向えるころになると、それぞれなりの、多くのパターンを導き出せるようになっているものと想われますので、そんなものをひとつひとつ拾いあげて行くことにも大切な意味が出来てきます。
  結局、とりあえず言えることは、私はそんな遺伝子の集合体としての人間であり、私は私の自己実現を目指して生きていると言うことであり、生きた証を自分がしたことを喜んでもらえ感謝される中で、達成感、充実感、満足感、やりがいを全身で感受しながら人生を終えたいと思っており、死ぬときには、やりのこしたことはないと思って死にたいと思っていると言うことであります。
                   コムサロン21 人間塾 中農 誠剛



こころの風
(平成20年8月) 
− たったひとつのプレゼント −



 私は自分の名前がずっと嫌いだった。 「温かい子」と書くその平凡な名前は地味な上に、亡くなった父の初恋の人の名前だったそうだ。自分の誕生日がくる度に、父はどんな想いで私を名づけたんだろう、と疑問に感じたものだった。 そんな想いに決着がついたのは自分に子どもや部下ができた時だった。当たり前の事だが、子どもは育てなければ簡単に死んでしまう。部下もまた同じでやる気を失わせるのは簡単だ。この世の中には何ひとつ「勝手に育つ」存在などなくて、当たり前だと思う事も、多くの助けがあった事に気づいた。 今、自分がここにいる事自体が誰かのお陰であり、感謝なのだと。仕事柄、毎日のように様々な人に会う。例えばどんなに大きな会場で大人数に出会っても、同姓同名は滅多にいない。
  面談の時には必ず自己紹介をするが、たとえどんなに悩みがある人でも必ず一人一人に名前はあり、一つ一つには必ず何らかの意味がある。自分以外の誰かがその誕生を見守ってくれたからこそ「名前」があり、育ててくれたからからこそ「生」があるのだ。 「生きる意味がわからない」と悩む人。「生きがいがない」と嘆く人。自分の心の居場所を求めて、彷徨う人は多い。でも自分だけの世界から少し視点を外して、他の誰かの為に生きる事は出来ないだろうか?「名前」という、あなたの誕生日を祝ってくれた、かけがえのないたった一つのプレゼントはあるのだから。 
                          コムサロン21 人間塾 奥平 温子



こころの風(平成20年7月) 
− ボランティア活動とは? −



 自分の部屋を掃除するのは、ボラン ティアだろうか?  自分の家族のために、ご飯をつくる のはボランティアだろうか?  自分の家の庭を手入れするのは、ボ ランティアか?  では、自分の家の前の道を掃除する のは、どうだろう?  自分のものに対する行動は、実はボ ランティアではなく、あたりまえなのだ。  他人のものに対する行動で、無償の 場合はボランティア意識になる。 そうすると、その判断基準は、「自分 のもの」と思うかどうかなのである。  自分の通う道路や公的な施設(たと えば姫路城)を、良い意味で「自分の もの」と思えたとき、そのための清掃 は、やって当たり前の行動になる。   おおよそ、人は、「自分」だけでは 生きてゆけない。  自分の体は、本当は、自分ではほと んどコントロールできていない。自然 の生命作用で「自分」は、生かされて いる。地球に空気があってこそ、生か されている。大地があってこそ、生か されている。  自分の身体、自分の地球、すべて、 自分のものと思えたときに、その活動 はあたりまえになるのだ。 ボランティア活動は、他人のための奉 仕ではなく、本当は、自分のためにな る「奉仕」なのだ。  決して相手に無理強いせず、答えを 求めず、感謝を持って、当たり前の気 持ちで実施すれば、すべて、自分の「 生きがい」という報酬となって還って くる。

                        コムサロン21 人間塾生 前川裕司


こころの風(平成20年6月) 
− 何のために自分はこの世に存在するのだろうか? −


 すべての生きものは、この世に生命を受けた瞬間に、死も与えられている。 いつか、必ずやってくる「死」を真剣に考慮したときに、今の自分の命が大切に思えてくる。  おおよそ、自分で生きていると思っている人間も、おおきな勘違いによって存在している。  昼夜・寝ているときも動いている心臓や各臓器のはたらき。呼吸さえ、眠っているときは体が勝手に続けてくれている。怪我をしても直すのは薬ではなく、よく考えると自分の体が自分の意思と関係なくやってくれている。そして、ときには、言うことも聞いてくれない。  自分がやっていることは、単純に物を食べて飲んでいるだけなのだ。  そんな身体に命を宿しながら、自分は、なんのためにこの世に生命を受けたか? 仕事を一生懸命して、儲けるためか?会社のためか?名誉職・権利地位職につくためか? 家族のためか?子どものためか?  幸せになるために・・・では、自分が求めている幸せとは、いったいどのようなものなのか?  その答えは、内なる自分に存在する。いや、自分にしか答えを見出し得ない。 その答えは、いつも不完全かもしれない。  しかし、答えを有し、その答えのために生きることこそ、自立した人生と歩むことができるのではなかろうか?  そして、その生き方こそが、人生を成功できているといえるのだ。     
                         
                         コムサロン21 人間塾生 前川裕司




の子だれの子(平成20年5月) − 上司も共有 −


 恒例の忘年会、幹事役は持ち廻りで大阪・灘波、神戸・三の宮などと、その年によって会場は定かではないが、呑み放題で90分のセットが定番だ。したがって開始はその年度の幹事がカンパ〜イ!!さすがに元ラガーのおじさんたち、すぐさま 「ビールおかわり」!!意気の良い声が飛び交う。エッ!!もうそんな時間?早いなぁ〜。  二次会はカラオケスタジオへ繰り出すのも例年のお決まりコースである。  さて、歳が明けると新年である。年号が改まり暦が変わる。但しほとんどのところでは4月からを新年度とし、さらに企業においては決算期の次からを新年度と呼ぶ。だから企業ごとに新年度は必ずしも同一ではない。前年度の決算に表われた数値や系数から、本年度の利益目標が発表され、事業部ごとに示された利益をいかに確保するかが前提となる。そこでリーダー(上司)の出番が待たれるのだが、部下たちを集め「目標達成に向かってしっかり頑張れ」!!と毎日言ったらそのとおりになるのか?例えが適切ではないが、母親の望む結果が得られない場合など、子どもに向かって 「お母さんが毎日毎日言ってるでしょ」!! とはよく耳にするセリフである。  相手にこちらの思いを伝えようとするとき、我々はことばを用いるのが普通だが、言語を意志伝達の手段だと、その程度に捉えているとしたら軽い。元教師のK氏が言う「子どもは教師から学び・教師はこどもたちから学べ」と。こどもを新入社員や部下に、教師を上司に置き替えて見てはどうだろう。敬語の使い分けや人間関係の基本である挨拶さえも・・・・・・そんな彼等だからこそ見習う相手(手本)が必要だ。小さな成果を楽しみに大きな努力(声をかけ、目をかけ、手間をかけ)こそが君の任務かも、君なら決っと出来るさ。  OB会の中心人物M氏の誘いに乗って、二人だけの三次会ではこんな話題になった。   (上司の苦悩、ぼやき、質問、共育。)     ― おわり ―

 

の子だれの子(平成20年4月) − 上司への質問 − 


 大学時代を同じクラブで汗に塗れた仲間たち、出会いの縁を大切に培い、毎年恒例の忘年会を楽しみに集うおじさん達も二次会では先刻のボヤキはどこえやら、すっかり童心そのものである。 ”お酒飲む人真から可愛い酔うて管巻きやなお可愛い”我が耳のどこかに残っていたらしく、微かな記憶がこんな文句を想いださせてくれるのだった。さらに年の差を忘れ、そんな彼等といっしょに同じ場の空気を吸っている自分自身も「これぞ忘年会」と苦笑である。さて、あの夜上司の面々が「聞いて欲しい」と投げかけてきた問題を整理してみると、 ・呼ばれたときに返事が出来ない ・敬語の使い分けが出来ない ・指示待ちタイプで自ら積極的に動こう としない。 ・清掃だの雑用を率先してやろうとしない。 ・報告、連絡、相談(ホーレンソウ)ができない。  所詮人間関係の基本であるあいさつがきっちりと出来ない。要約するとこんなことであろうか。IT化がもたらす利便さ がおのずと非対人的な方向へと進み、その結果として生のコミュニケーションが希薄となり家族間でさえ絆の弱まりや、社会的に人と人とのつながりが薄くなることは否めない。欠乏の時代を経験することなく、物の豊かな時代にすっかり慣れ切ってしまった最近の若者たちだ。 したがって我慢や工夫という体験を味わったことがない、そのことをすべて彼等のせいにすることはできまい。  ところで「リーダーになれそうな人物が居ない。」と語ったM氏へ、次は上司である君自身に問いたいことがある。@我が社は何の為に存在するのか。A自分は何の為に働くのか。B君の経営に関する基本理念は何であろう。C利益こそが目的なのだろうか?「経営の基本は人にあり」とこの頃の大卒、新入社員達を人から人財へと育成するとすれば上司として君の考えを聞きたい。

 

の子だれの子(平成20年3月) − 上司のぼやき − 


 玄関先への打ち水や、俄に夕立とでも言うのなら絵になる一場面かも知れないが、忘年会席上での鍋の向こうから上場企業管理職の訴えにいささかたじろいた。 「リーダーになる人物が居ない」M氏のそのひとことに待ってました!!とばかりに「我社もいっしょや、なんど言うたら損や得や言うとるで」「ひとつひとつ言うたらんと、自分から進んでやろうと言う気がないしな〜」こんな二人の会話に三人目が割り込んで来た。「わいとこな、こんなことあったんや。君!!今夜の忘年会、なんで不参加や?前から決まっとったやろ!!知ってますけど、参加するかせんかは本人の自由じゃないですか!!そないぬかしてサッサと帰りよってな。ホンマに頭にくるぞ」。  この頃の大卒どないなっとんや!!うっとこの会社もヤバイぞ・・・お互い上司の立場など何処へやら、おじさん達はむかしの仲間時代へとタイムスリップだ。彼らのやりとりを頷きながら聴き入っていたがついに返答をの出番が巡ってきた。 「上場企業の君たちがそんな具合じゃ悲しいぜ。人事課宛にリーダーになれる奴を採用するようと申し出てみるか?例えば相手に仕事を任せる、結果は必ずしも合格点ではなくとも褒め言葉のひとつも掛けて評価してやる、それが部下の自信となる。  そんなことを繰り返し時間をかけてリーダーを養成することこそ上司の努めではないのか?最初から1を言ったら3も5も悟って自分で行動するような人物が居たとしたら、サラリーマンになるかな?部下の愚痴をいくら言ったとて相手が育つことはないことに気付きたいな」。そんな話で盛り上がったところへ「あの〜幹事さんどなた?そろそろお約束の時間ですので・・・」と水が入った。続きは二次会で―

の子だれの子(平成20年2月) − 上司の苦悩 − 


 毎年歳の瀬には大学時代ラクビー部の仲間として、青春を共にした先輩・後輩たちによる恒例の忘年会である。顔ぶれに一部入れ替りがあっても14〜15人が集う。そのほとんどが50才前後で、高校教師の一人を除くとおのおのが上場企業の中間管理者の立場でもある。  ラクビー部OB会の中心人物であるM氏の結婚式に出席したことが契機となり、以後私がこの忘年会に招かれるのも恒例となって久しく、実に縁の不思議を思わずには居られない。  私たちが囲む鍋はリーダー格のM氏と先輩たちが寄って来た。隣の席ではそれぞれに子どもたちの進路問題が話題のようだ。反対側の誰かは「田舎の親が痴呆状態で」・・・と何やら深刻なムードである。  少しの空間を置いた他のグループも団体らしく先刻より嬌声が飛び交い大いに盛り上がっている。  オ〜イ熱燗3本!!チョット兄ちゃん!!ビールビールお客からの求めに甲斐甲斐しく応えている店員に好感を得た。繁華街での忘年会は今夜も活況を呈していた。  ・お前、しょっちゅう海外出張しとんなあ〜ことば喋れんのか?  ・俺、いま組合関係の仕事やっとんやけど頭痛いぞ〜。  ・職場の先輩が脳梗塞で倒れよってな〜。  ・会社ではそこそこ評価されてんのやけど家の中では家内が上司や。オレただのオッサンやど、ホンマに。  時間の経過とともにお互い声のトーンは高くなり、会話のテンポも早くなる。どのテーブルも笑顔笑顔のそんな時、向う正面のM氏が名指しで私に訴えた。 「部下の中にリーダーになれそうな奴がおらんのです、あかんわ」と。     ― つづく ―


の子だれの子(平成20年1月) − 預託先は宇宙銀行 − 


 人生をマラソンに例えると、いま自分が手にするバトンはいつの日か、必ず次のランナー(次世代)へ託さねばならぬ。  父が20前の私に渡そうとしたバトンは当時の私には倒底受け難く思えた。「労働は対価の多少や人の評価などに捕われるな。陰、日向なく、勤めておけ。損得計算は天に任せておけ。銀行預金は有高以上の引き出しは出来ないが、宇宙銀行に預けておけば必要な時に要るだけ引き出せる。 今は解からんでも20年30年経ったら必ず得心出来る」と繰り返し伝えようとした父の一つ話しであった。  元気だった父が50代の若さで急逝した。 そのことにより背負った重荷や苦い体験が私自身を育ててくれたことも確かな事実と言える。  やがて歳月を経て私も親の立場になった。そして我が子たちと向き合うと、若き日に耳にした宇宙銀行のことを父と同じように繰返し語っている。20年30年と積み重ねたら…と。受け継いだバトンに込められた父の遺訓に、私なりの確証を得ていたことに他ならぬからだ。  私の人生に於て多くの人々との出会いは偶然とは思えず、縁の不思議を何度となく体験した。「必要な時に要るだけ引き出せる」  宇宙銀行の通帳には金額以外にも人財と言う名の財産としても記録されていたようである。  受け継いだバトンも近い将来、次代へと託すことになるが「偽の精神」や「今さえよければ」とのつけを廻してはならぬ。 父からのバトンにはこんなメッセージも込められていた。


 


平成19年1月〜12月 この子誰の子

平成18年1月〜12月 この子誰の子

平成17年1月〜12月 この子誰の子

平成16年1月〜12月 この子誰の子
平成15年1月〜12月 この子誰の子
平成14年1月〜12月 この子誰の子
平成13年1月〜12月 この子誰の子
平成12年2月〜12月 この子誰の子
 
 

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